阪神・甲子園球場


昔と比べたら随分と・・・  

過去春2回や夏4回の出場時と比べたら今回の夏5回目の母校の内野スタンドの応援席は、随分と様変わりしました。
自分が在学中に初めて出場した時は、制限が無いことを良いことに(笑)公式応援大型バス121台を仕立て早朝から名神自動車道を渋滞させて関西エリアのニュースにし、これに震撼した大会主催者が公式応援バスを確か当時は80台に抑えさせて不滅の記録を樹立しました。
自分が生まれる前のことなので正確な年数まで知りませんが、当時まだ富山県と石川県の2県で代表1校の時代初出場をかけた決勝で、審判の判定に不服な新湊応援団がグランドに雪崩込んで1年間の出場停止になった二の舞にならないよう節度ある行動をと当時の新湊市長の訓示があったにもかかわらず、内野席はおろか外野席まで大漁旗を持って駆け巡って場内放送で注意されガードマンに追いかけまわされていた市民の応援がまだ記憶に残っております。

さすがに25年前の春ベスト4入りした時には、大漁旗を持って走りまわる応援は、なかったです。
しかし12年前の4回目の夏の時は、上に書いたとおり初戦の相手が公式戦において因縁の石川県だったせいか、今にもスタンドに雪崩込むんじゃないかという勢いで軽く200人余りの応援の市民がスタンドフェンスに張り付いていての応援でした。
大会主催者側は、そんな非常識な応援なんか想定していないのでガードマンの数が少なくフェンスをよじ登ろうとする応援の観客をなんとか制止するのが精一杯でありました。
次の2戦目には、新湊側の1塁側には、ガードマンが100人余りに警察官まで巡回(笑)していたのが、記憶にいまだに残ってます。
今回の出場は、内野スタンドまでアルプススタンドと一体になった応援は変わりませんが、昔から比べたら随分と大人しくなりました。(笑)




この動画は、内野席で撮影しました。アルプススタンドじゃないですよ。(笑)
何度か地元の富山商業や高岡商業の試合を甲子園まで観に行きましたが、新湊の試合待ちで前の他県の試合も含めアルプススタンドでない内野スタンドでこんなに盛り上がる応援を他で経験したことがありません。
昔から新湊の応援は、地方大会も含めてこんな感じです。
例えるならJリーグのサポーター的なノリですね。
何せ今から二十数年前、新湊にもう1つ高校を新設する計画が発表された時、「新湊には、高校は1つで充分」と反対運動が起こり、違う町に新設校が作られたことがあるくらいですから。(笑)
大人しめになってもこの一体感のある応援は、これからも続いて欲しいものです。

校歌最高
今回の夏の初戦突破で春夏通じて6回目の勝利の校歌を聞けました。
自分もとうに人生の折り返しを過ぎてしまいましたが、あと何回こうして甲子園で母校の校歌を聞けるかな。
お陰さまで小中の校歌は、忘れてしまいましたが、高校の校歌はいまだに歌えます。(笑)


8月10日と15日と続けて弾丸ツアーで甲子園まで行きましたが、流石に今回は歳のせいか疲れました。
お盆で16日まで休みでありましたが、16日だけでは疲れが取れずこの週はかなり疲労困憊で仕事しておりました。
母校が負けてからは、まったく甲子園の結果も知らずいつのまにか東洋大姫路も負けたそうで、20日には日大三高が夏の甲子園を制覇したそうです。
我が母校、いつかは優勝なんて言いませんが是非夏2勝を目標に頑張ってほしいです。
3.11の東日本大震災のあった歴史に残る年に出場した我が母校でしたが、2戦目は、同じ北陸の初戦でボロ負けした福井のようにボロ負けでしたが、初戦突破しただけ良かったです。





2011年8月23日 UP


END


       


「(C)chinashi」 【レポート中にちなしさん作成のアイコンをお借りしています】

 活動報告 Vol−174